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確信(長文)

2016/04/06

今回の帰省の目的は、うつ病であること+退職することを両親に話すことだった。
昭和一桁世代で自営業一匹狼で育ててくれた父親には、うつ病の話ができなかった。
何故だろう、冗談抜きでそんな話をしようものなら会社にすっ飛んで来て、社長に合わせろ
なんて言いそうな人だからなぁ。

けどそれは建て前の話、やっぱり長男として家の復興を期待されて育てられたせいなのかな。

武士の家柄で曾祖父や祖父が校長や鉱山長という所謂地元の名士で、子供の頃は
お屋敷にお手伝いさんが数人いたという身分を、戦争で両親を失い、空襲で焼き出され、
土地、財産を親戚一同によってたかって分捕られて、父親は終戦の荒野に弟妹3人放り出された。

そこから戦後の混乱、復興期を弟妹3人必死に働いてそれぞれ自分の店まで持つようになって、
30,40年代の一億総中流にも乗れていたのに。

それでも父親は、過去の栄華だった家の復興を自分に託していた。
あの昭和40年代に福岡で幼稚園お受験なんて考えられないけど、そこまでして付属幼稚園に
行かせたり、小学校で英語教室なんて通わせて、2つ違いの妹とは全く別の教育をしてくれた。

残念ながら素質と努力不足でなかったのか結局は一浪して地元私大となり、留年までして、
しかも建築学科とは縁もゆかりもないコンピューター系に就職が決まったのだが、サラリーマンに
なれたと大喜びしてくれた。

そんな経緯もあって、その希望の轍だったサラリーマンから脱落することがどうしても
話せなかったのだろう。

けど、今回帰省してうつ病と退職を伝えると「まあようやったけんもうよろうもん」と言って理解してくれた。
自分でもまさか同じ会社に26年も務めるとは思ってなかったけど。
これでやっと自分も知らずに背負っていた重石が降ろせたようだ。楽になった。

間違い無くリワークに行っていなかったら、こんな展開にはならなかった。
うつになって休職してリワークへ通ったのは、実は復職するためではなく、この重石を降ろすために
必要なことだったのだ。
多分頑張って耐えて復職していたら、うつ病のことは話すことはできず、より一層重くなった
重石を背負って、イヤイヤ仕事に戻っていただろう。

この退職の選択は間違っていない、今の時点ではそう確信できる。
後はここからどのように行動していくか、これが大事なんだ。
改めてこのことに気づいた。良かった。
 フィードフォワード、この単語もリワークで学んだことだ。
リワークでは発症前の自分に戻ることが目的ではない。同じことを繰り返すから。
ちょっとでも違う自分になることだ。

実際にリワーク入所時から自分に何か大きな変化があったのか、あまり実感が無い。
毎日メンバーや自分の吐き出しや、振り返りやトリセツを経験することで、いろんな考え方を
学んだことは自分の血肉となったのは間違いない。
この歳でこんなことが学べるなんて、スゴく貴重だし、普通の生活をしていたら絶対に経験
できないことだった。

ただそれを日々の生活の中で行動化できているかと思うと、なかなか自信ない。
けど今回退職を決めた、それを病気のことも含めて親に正面から話せた。
これで次に進める、進んでいいんだ。
この行動が取れたことは大きな変化だ。これがリワークに行った行動の結果なんだ。

しかも今回の帰省はただ飛行機が安い日で選んだだけだったけど、それが母親の心不全の
検査入院日に重なったのも、ただの偶然じゃない気がする。

病室の母親は自分の顔を見て驚いていたけど、酸素マスク付けた顔で喜んでくれた。
みるみるうちに元気になっていった。多少記憶が混濁していて、自分が病院にいることが
理解できない状態だったけど、自分の顔を見て笑みもでるようになった。

父親と妹曰わく、前日の状態からこんなに元気になるとは思わなかったと言ってた。
顔を見せることで少しは母親のエネルギーになれたのかな。
なんだかスゴく親孝行したような感じ。

いろいろと考えていたけど、来て良かった。


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